けまこうもん…って、なんですか? ナニワのパナマ運河?! 場所どこ? 大阪市都島区の毛馬閘門(毛馬の閘門 けまのこうもん)
けまこうもんって、なんですか?ナニワのパナマ運河って、なんですか?毛馬閘門って、なんて読むんですか?
毛、馬、こうもんって、、、とイケナイ想像?をしてしまいそうになりますが、みなさまは、ご存知ですか?お恥ずかしい話、私 さくら は、全く存じ上げませんでした。
その正体とは!!
とても大事な役割を持った水門だったんです。
しかも、国指定重要文化財。
毛馬洗堰(けまあらいぜき)と毛馬第一閘門
(鉄製門扉・扉開閉装置・アーチ橋 含む)
淀川旧分流施設として 2008年(平成20年)6月指定。
淀川旧分流施設は、内務省による淀川改良工事として、土木監督署技師沖野忠雄の計画に基づき、建設された。
毛馬洗堰は、明治43年1月の竣工になり、延長18.4mの煉瓦造及びコンクリート造構造物で、翼壁を附属する。また毛馬第一閘門は、明治40年8月竣工になり、長さ105.7m規模の煉瓦造及びコンクリート造構造物で、閘室、閘頭部、閘尾部よりなる。
淀川旧分流施設は、わが国最初期の高水工事であるとともに、初めて大型建設機械を導入して実施された淀川改良工事の代表的遺構として、近代河川史上、高い価値がある。
文化庁HPより
これは、もはや気になって仕方がありません。
大阪市都島区の淀川河川公園付近に存在することが判明しました。
早速行ってみましょう・・・との事で
最寄り駅からは徒歩20分。誰が計っているのか知らないけど、案内よりも、だいたい5~10分は多めにかかるんですけど。私の歩みがのろいのか?プラス10分は・・・最近、歩くことが多すぎて愚痴。すみません。
アーチ橋
(↓写真最下部)眼鏡橋、長柄運河を跨ぐように架かっていた橋
それでは、現地からの中継です。
ここ毛馬町には、世界に誇るべきパナマ運河と同じシステムの水門があるんです。
そして、むかし実際に使用されていた一番最初の水門「毛馬第一閘門」が保存、展示されているんです。
道路側から、なにやら重厚な石のアーチ橋をくぐり、整備されてはいますが、木々の間の人がひとり通れるほどの細い道を不安になりながら歩いていくと、急に開けた場所に出ます。
そこに、あるものは?!
毛馬第一閘門
水位の違う淀川と大川をつなぎ通行できるようにする為の水門。
凄いです。言葉が出ません。なんというか、怖い・・・第一印象は、そんな感じです。
重々しさを感じる中、だんだん慣れてくると足を踏み入れてみることにしました。
淀川は大規模な洪水が頻発し、流域の人々に甚大な被害を及ぼしました。明治政府は、1896年(明治29年)より淀川の大改修工事を開始しました。毛馬には閘門(1907年・明治40年竣工)と洗堰(あらいぜき、1910年・明治43年竣工)を設置し旧淀川(大川)に流れ込む水量を調節、船運の利便を図りました。
煉瓦造で、要所に花崗岩を貼っています。
現在の閘門と洗堰は、1974年(昭和49年)に新造されたものです。
閘室(こうしつ)と係船環(けいせんかん)
閘室とは、扉の扉の間(水門の中)のことを言います。
係船環とは、閘室の中に停船する船を安全につなぎとめておくためのものです。
高いところと低いところに設けられているのは、水位によって船をつなぐ環(わ)の位置が変わることをあらわしています。
扉と扉の間(閘室・こうしつ)は煉瓦造り
今度は上の横手に廻り込んで見ました。
鋼製扉と手回しハンドル
上流側の扉室に設置の観音開きの鋼製扉
扉の開閉・閘室の給排水を操作する手回しハンドル
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門の反対側に辿り着きました。階段があって、ここからも門の下に行けそうです。
ちょっと・・・どんより曇り空のせいか薄暗くて・・・なんだか出てきそうな雰囲気ですが、レポのため、意を決して怪談を、、、
あ、間違えました・・・階段を下りてみましょう。
第一閘門の構造
一人は怖い!!重厚な歴史を感じます。もともと河川だったんですよね・・・。
第一閘門は中央の閘室の前後に鉄製の両開扉を設置する構造。
1928年(昭和3年)の改修工事により、開閉の作業を迅速に行うため、引き上げ式の鉄製扉を新設。
見上げると構造が凄いです。
閘門の概要や扉の操作方法
第一閘門の有効長は約82m、幅約11m、前後の両扉室にはそれぞれ一対の鉄製扉が取り付けられている。
扉の開閉操作は、扉につけられた歯棒を側壁上に設けた歯車にかみ合わせ、歯車の軸につらなるレバーを動かして行う仕組み。
閘室内の水の注入と排出は、側壁に設けられた溝孔を通じて行う仕組み、らせん棒の動きに応じて上下するようになっている鉄製円筒栓の開閉で調節するように設計。
本体に使用した煉瓦は、試験施工を行った結果、手工品よりも、品質・耐圧力に優れた機械製の製品を採用。煉瓦メーカーへの発注数量は、隣接する毛馬洗堰用とあわせると1,020万個にも達し、3ヵ年間をかけて製造。
完成後の主な改造は、1929年(昭和4年)に制水扉の取付け、1964年(昭和39年)に制水扉の電動装置・遠隔操作装置の取付が行なわれる。
淀川改修紀功碑と旧毛馬基標
高さ10.6mの円柱の塔。重要文化財の「附(つけたり)」に指定
明治29年より始まった淀川改修工事を記念し、ほぼ工事が完了した明治42年に建てられたもの。
塔の下部は洋式建築の意匠を再現。碑文あり。
淀川は琵琶湖に端を発し、南に瀬田川、西に山城で宇治川、さらに西北に流れ桂川、木津川と合流して淀川となり、河内と摂津の間を流れ、神崎川と中津川に分岐して大阪湾に注ぐ。
川の総延長は二十余里(約80km余)灌漑や水運に利は多いが、また被害も甚大であった。しばしば治水工事が行なわれ、仁徳朝に始まり歴代の政権が治水を行なったが大変な労苦を要した。
明治になり、1896年(明治29年)に本格的な改修工事に取り掛かり、淀川から宇治川、そして瀬田川までと広範囲に亙った工事が始められたのである。
.途中で日露戦争があったりしたが、1909年(明治42年)に改修工事が竣工する。
むかし猛軻はと中国の故事を引き、技術革新と土木工事が盛んになったために成し得たものだと続き、聖なる御世の恩徳によるものだという。
改修工事の竣工式を挙行し、その功績を石に刻んだ。
旧毛馬基標(きゅうけまきひょう↑写真下右)について
この標石は、明治から昭和にかけて、大阪港の建設や淀川改修工事等の高さの基準として使用された基準標で、「毛馬元標」と呼ばれていたものです。工事の高さの基準標は、大阪湾の潮位観測により決められた工事基準面(O.P.0メートル)を基として、明治19年に天保山の旧砲台跡に設けられたのが最初で、そこの高さををO.P.+2.045メートルと定義しました。その後淀川改修工事などのため、天保山の基準標を基にいくつかの基準標が設けられましたが、明治40年に淀川改修毛馬洗堰の閘門工事が完成したのを機に、そのうちの一つがここに移されて、O.P.+15.5尺(4.697m)となりました。その後は工事の基準として、この元標が中心的に使用されてきましたが、その後南海道自身や地盤沈下などにより、高さに変動を生じていることが判明したため、昭和41年にはその基準が茨木市にある国土地理院の基準水準点「基21」に移されました。そして日本全国の高さの基準面(T.P.)に対して、O.P.の方が1.30メートル低いことも確認されました。この時、この元標の役割も終わりましたが、一方毛馬洗堰も改築され、この標石が埋められることとなりましたので、明治以来の河川港湾関連の工事の基準としてはたした役割が大きかったことを記念して、東北東約20メートルの位置からここに移し、保存することにしました。旧毛馬基標の説明板(↑写真下左)より
毛馬の残念石
大阪城再築のため運搬されたものの使用されなかった石のことを残念石という。
この辺りの残念石は伏見城から運搬する際、淀川に途中落ちてしまった石が引き上げられたもの。
各大名家のマークや刻印が刻まれた石もある。大阪城の残念石は、各地に点在してます。
大阪城 絵で見る日本の城づくり 講談社出版 わかりやすいです。
毛馬北向地蔵
いわれによると、このお地蔵さんは三体あり、一体は明治の終わり頃、旧毛馬洗堰新設工事の時、大川から発見され、また一体は、その後 大正九年頃 内務省機械工作所が旧光龍寺(十三付近といわれる)整地の時に掘り出され、さらに、もう一体は昭和六年頃土佐堀の旧内務省大阪土木出張所(現建設省近畿地方建設局)敷地内にあったものを移転し、この地に安置されました。
このお地蔵さんは、その昔、聖徳太子(厩戸皇子・うまやどのみこ・うまやどのおうじ)が仏教を広めるため大阪市天王寺区に今もその名が残る「六万体町」で六万体のお地蔵さんを作らせ全国にそれを安置、その内の三体と言われています。
歴史的にも古く淀川を洪水から守っていただくなど霊験あらたかなお地蔵さんで遠くから参拝者も多く毎年八月二十三日の地蔵盆には御詠歌でお供養しています。
毛馬北向地蔵のいわれ より
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沖野忠雄銅像
1979年(昭和54年)関係者によって復旧された淀川に向く銅像
1935年(昭和10年)淀川大堰を望む毛馬旧第一閘門に近い淀川河川公園に建立されましたが、太平洋戦争時(1943年)の金属供出政策で海軍に献納させられました。
沖野忠雄と明治改修[本/雑誌] (単行本・ムック) / 土木学会 松浦茂樹
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淀川公園 長柄地区・長柄河畔地区へと遊歩道が続きます。
トロッコのような何か。
カタワレ時になってきましたので家路に急ぎます。
淀川河川公園 毛馬地区
平日9:00~17:00(6月~8月 19:00閉園)
土日祝7:00~17:00(6月~8月 19:00閉園)
アクセス
★電車の場合
Osaka Metro 大阪市営地下鉄谷町線・堺筋線「天神橋筋六丁目駅」から徒歩20分
★バスの場合
大阪駅より大阪市バス34系統(守口車庫前行) でバス停「毛馬橋」下車徒歩10分
★車の場合
阪神高速守口線城北出口から約10分
府道中津太子橋線より桜宮高校方面へ進み堤防上から駐車場へ。
毛馬地区には駐車場なし。赤川地区の駐車場を利用。