切ない恋 曽根崎心中 お初天神 露天神社
お初天神と親しまれる大阪市北区曽根崎2丁目にある 露天神社(つゆのてんじんしゃ)。
「曽根崎心中」は、元禄16年(1703年)4月7日に起こった、堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が神社の境内「天神の森」にて情死した事件、実際にあった心中事件をもとに、近松門左衛門が竹本座初演、人形浄瑠璃・文楽「曽根崎心中」上演。当時の人々の間で大評判となり、神社に参詣回向の老若男女が大勢押しかけたといわれています。
以後、そのヒロインの名前「お初」にちなんで「お初天神」と呼ばれるようになったのです。
目次
手水舎
御本殿
上古、大阪湾に浮かぶ小島の一つであった現在の地に、「住吉須牟地曽根ノ神」を祀り御鎮座されたと伝えられており、「難波八十島祭」(注1)旧跡の一社である。曽根崎(古くは曽根洲と呼ばれた)の地名は、この御神名によるとされている。
創建年代は定かではないが、「難波八十島祭」が文徳天皇の嘉祥3年(850年)にまで遡ることができ、6世紀の欽明天皇の頃には形が整っていたとされることから、当社の起源もその頃と推察できる。なお、承徳元年(1097年)に描かれた「浪華の古図」には、当社の所在が記されている。
南北朝期には「曽根洲」も漸次拡大し、地続きの「曽根崎」となった。この頃、北渡辺国分寺の住人・渡辺十郎源契(河原左大臣源融公十一世渡辺二郎源省の末)や渡辺二郎左衛門源薫ら一族が当地に移住し、田畑を拓き農事を始め、当社を鎮守の神とし曽根崎村を起こした。
以後、明治7年(1894年)の初代大阪駅、明治38年の阪急電鉄梅田駅の開業などとともに地域の発展に拍車がかかり、当社も大阪「キタ」の中心、梅田・曽根崎の総鎮守として崇敬を集めるに至っている。
社伝より
おみくじ・絵馬掛け所
恋愛成就の絵馬には、お初と徳兵衛のイラスト入り
おみくじを獅子舞が選んでくれます。
平成16年4月にブロンズ像が製作。龍の玉が水圧で、くるくる回転してます。
手水舎では睡蓮(造花)が浮かべられライトアップされて幻想的。
開運稲荷社 かいうんいなりしゃ
御祭神
玉津大神、天信大神、融通大神、磯島大神御神徳商売繁盛、
五穀豊穣、皮膚病治癒
明治42年「北の大火」によって近在各地に
祀られていた四社の稲荷社が烏有に帰した。
翌明治43年に当社境内地に四社を合祀し御奉斎申し上げた。
古くは皮膚病の治癒を願って「鯰」の絵馬が多数掛けられ、
お百度を踏む人々で混みあうほどだったと伝えられている。
現社殿は一部修復工事を施したものの往時のままで、
正面左右の扉を開放すると社殿内を一巡することができ、
当時のお百度詣りの様子をうかがい知ることができる。
なお、明治42年の「北の大火」で焼け残った
御神木でつくられた神號額が、その旨の裏書とともに伝わっている。
金刀比羅宮 水天宮
毎月縁日には参詣人が群れをなしたと伝えられている。
水天宮はもともと寛政9年(1797年)6月に
御祭神
天乃御中主大神、安徳天皇、大物主大神、崇徳天皇、住吉大神、他二柱
御神徳
安産、児童守護、交通安全、水関係職種の守護
高松藩蔵屋敷の金刀比羅宮に遷され、その後、堂島中二丁目に遷座された。
さらに明治42年の「北の大火」で社殿が被災したため
当地に遷され、露 天神社の境内社として斎祀されるようになった。
パネル撮影スポット
曽根崎心中あらすじ
醤油屋の営業、徳兵衛は、真面目に働く美男子。
天満屋の遊女で美女お初と知り合ったのち恋人同士に。
お初の身請、結婚を考えていた徳兵衛。
その傍ら、徳兵衛が働く醤油屋の主(徳兵衛の叔父)は、
人柄や仕事ぶりが気に入り自身の姪(徳兵衛のいとこ)との結婚を望む。
徳兵衛は、その縁談話を断るが、
叔父は徳兵衛の継母に結納金を渡すなどして、
外堀を埋めつつ縁談を強引に進めていく。
叔父の縁談を断ると
「それならば結納金返せ!仕事クビ!大阪から出てけ!」と勘当される。
やっとのことで継母に渡された結納金を取り返し、
叔父へ返金しようと醤油屋へ向かう。
その道中、徳兵衛は親友の九平次に出会う。
「身内が病気で金が必要なんだ!後生だから貸してくれ」
と徳兵衛に借金を頼みに来た。
親友の頼みならば…と3日を期限に貸したが、
お金は返ってこない。
そこで九平次に催促すると
「借りた覚えはない。貸してもいない金を取ろうとする詐欺だ!」
言い張る。徳兵衛も負けじと応戦するが、
九平次に「証拠がない!詐欺師だ!」とわめかれ、
公衆の面前で袋叩きにあう。
その後、お初の店に現れた九平次は
「徳兵衛を騙し金を巻き上げた」と得意げに話す。
その話を隠れて聞いていた徳兵衛は怒りに身を震わせるが、
「自分が無実だと証明するにはもう死ぬしかない」と考える。
徳兵衛の話を聞いたお初は
「あなたが死ぬのならば私も一緒に」
二人で真夜中に露天神へ向かい、心中を図った。
未来成仏 疑ひなき 恋の手本と なりにけり
お初天神への鳥居は四方にあります。
曽根崎お初天神通り商店街の方からも参拝できます。
「Ay 曽根崎心中」
2018年12月12日~20 日 新国立劇場 中劇場 上演決定されました。
曽根崎お初天神通り商店街
商店街の垂れ幕ポスターが、お初天神の絵
イラストデザインコンペの入賞作品になっています。
昌泰4年(901年)2月、菅原道真公が筑紫へ左遷配流される途中、
福島に船泊まりされた折に、当社東方に伽藍を構える
「大融寺」に船頭茂大夫の案内でご参詣の道すがら歌を詠ぜられた。
この故事にちなみ、露 天神社と称すると伝えられている。
『摂津名所図会』より(諸説あり)